従業員は「自由」に意見してくれますか?

本の紹介

今回は「自由」をテーマに語ります。

「自由」とは何をすることも許されている状態

私生活においては人に迷惑をかけない以上は何をしたって良いと思います。

では仕事においてはどうでしょうか

社長においては自由の幅が広いかと思いますが、サラリーマンは結構窮屈です。

始業時間に一分でも遅れると遅刻。「社会人なら時間を守れ」と言われる。

なのに仕事が片付かない場合は残業。定時を守れない会社は多くあります。

時間以外にもサラリーマンは「社会人」としていろいろ気を使います。

ただ、これも当然のことです。

個人個人の完全自由に任せていたら組織として成り立ちません。

会社という組織においてはこの自由と規律のバランスは非常に重要な問題です。

自分の会社ではそんなに「規律を厳しくしていない、自由な社風だ」と

思われる社長もおられるかもしれませんが、実は社員はそう思っていないケースもよくあります。

「社長が戦略や戦術を決定して、社員は黙ってそれに従うべきだ」

この考え方は正しいでしょうか?

これの答えは実は一つではありません。

組織の状態にもよりますし、状況にもよります。

ただ、戦略・戦術をよりよいものにしていくためには社員の声も聴くことが重要です。

最近、「自由」についての古典的名著J.S.ミルの自由論を読んでいて深くそう感じた節があるのでご紹介します。

意見表明を沈黙させることには独特の弊害がある。沈黙させることで人類全体が失ってしまうものがある、ということである。現世代の人々ばかりでなく、後世の人々にとっても、失うものがある。その意見に賛成する人々にも、それにもまして、その意見に反対する人々にも、失うものがある。第一にもしその意見が正しいのであれば、人々は誤謬を真理に取り替える機会を失う。第二にもし誤りがあっても、ほとんど同じぐらい大きな利益を失う。真理と誤謬との衝突があれば、それによって、真理は更に明確に認識され、いっそう鮮烈な印象が得られる。この大きな利益を失ってしまうのである。

本書ではこれを裏づける論拠がこの後にも展開されていくのですが、長くなってしまうのでここまでにしておきます。

いかがでしょうか。

J.S.ミルの自由論では企業経営という枠組みではなく国家運営というもっと大きなスケールで語られているのですが、その理屈は企業経営にも十分置き換えて考えることができます。

間違った意見であれ、それが発言されないと大きな利益を失ってしまう。とのことです。

古い作品かつ外国のものを日本語に翻訳してあるので、慣れない人には読むのに苦労しますが、会社組織を経営する社長にはぜひ読んでほしい本です。

ミルの言い分に対して、

そんなことは改めて言われるまでもない、と思われるかもしれませんが、あなたの会社では社員の声を吸い上げる仕組みは整っているでしょうか。

できていると思っても、会議の場で意見が出てこない、会議以外でも提案が出てこないなんてことはないでしょうか。

「どうせ社員はやる気がなくて指示待ちだから意見なんて出てこないよ」と諦めていませんか?

もしかしたら社員はやる気や意見がないわけではなく、会社に「社長の指示には黙って従うのが当たり前、反対意見を言うのは気が引ける」なんて空気があるだけかもしれません。

この「意見できない/しにくい」という状態も自由が規制されている状態と言えます。

そして、この自由が規制されることによる弊害は思いのほか大きい。かもしれません。

社員の声を吸い上げることは何もだいそれた仕組みは不要です。

ちょっとした工夫と「聴く」という心持ちでできます。

あの経営の神様と呼ばれた松下幸之助翁は大企業の社長になってからも現場の社員に腰を低くして話を聴いていたそうです。

もし、少しでも思い当たることがあったら

自社のことを考えるときに「自由」という切り口ではどうか、
考えてみると新しい発見があるかもしれません。